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定年退職

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2019年6月30日付で36年間勤めてきた定年退職となります。 28日(金)が現役社員としての最後の就業日となりました。 職場でお花もらいました。もらえることが当たり前だとは思ってないので、とても嬉しいです。帰宅後にそのままツレに感謝の気持ちと一緒に渡したら、喜んでもらえました。 いやー、入社式のために東京からこの町に来た日のことがつい最近のことのように思い出されて、永遠に続くのかと思ってたサラリーマン生活の終点がこんなに早くに来るとは思いませんでした。でも、水曜日に受診した人間ドックで若い頃には正常だった数字が危なっかしくなっていたことを考えると、それだけの年月が経過した、という事実を突きつけられます。それでも受け止め切れませんが。 サラリーマン生活に一区切りついたということで、家族、同僚、先輩、後輩、その他お世話になった方々に感謝の気持ちを伝えねばならないところですが、亡くなった人や連絡が取れない人もいますので、直接伝える代わりに、ここに書き込むことにします。 「ありがとうございました」 と。 社会のインフラストラクチャーの構築・維持・運営、そして事業のグローバル化に貢献したいと思い当地の製造業に就職したのですが、振り返ってみると、学生の頃に思い描いた未来とはかなり違う形でこの日を迎えました。「〇〇は俺が作った」と胸を張れるような成果はなかったなー、と。この36年、もう少し頑張れば、入社時に思い描いた未来に近づけたのかな、とも思う一方で、あれ以上頑張るのは自分には無理だったな、とも思えて、くやしさと諦めみたいな後味の悪さを感じています。 でも、キャリアの前半では質はとにかくとして一つ一つを思い出そうとしても思い出せないほどたくさんのプロジェクトにかかわって、数えきれないほど多額のお金を動かしたこともありましたし、後半では自分が社内でトップクラスに居ると自負できる得意分野ができて、それを武器に社運を左右する大きなプロジェクトにわずかながらでも貢献できたという手応えと幸福感を得ることもできました。プロジェクトが途中で凍結になってしまったのが、何とも無念ですが。 会社の継続雇用制度で引き続き雇ってもらえることになったので、今後も入社時に思い描いた未来に少しでも近づけるよう、働いていきたいなと思います。ただ、会社から提示された新しい給

映画「ある町の高い煙突」

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日立鉱山大雄院製錬所(現 JX金属 日立事業所)の大煙突をテーマにした新田次郎の小説「ある町の高い煙突」を映画化した同名作品の先行公開を観に行ってきました。 製錬所から出る亜硫酸ガス公害による周辺地域の農作物への被害の防止に向けた鉱山会社と地元住民の取り組みを、地元住民の代表となった入四間村の庄屋の息子の目線で描いた作品でした、 Corporate Social Responsibility (CSR) とか Sustainable Development Goals (SDGs)といった言葉がビジネス用語として一般的になりつつありますが、それが100年前から行われていた事例として、煙突の上2/3が倒壊して短くなってしまった今でも町の誇りにしてよいエピソードではあると思います(大煙突で入四間の被害は緩和されたものの、その後も煙害は完全な解決には至らなかったようで、戦後まで対策が続けられたそうですが)。 日立市民の目線では、郷土の近代史上の一大出来事として非常に関心を持っていた話題だったので、こういう形で映画化されたことは大きな喜びですし、とても豪華な出演者陣もあって良い作品だったな、と感じています。 ただ、日立市民以外でも楽しめる娯楽作品としても、日立の郷土史を理解するための史料としても、期待したレベルには達していなかったことです。娯楽作品としてなら、山あいの美しい田園と山林がが煙害で破壊される様子をもっと陰惨に、地元民と会社側の対立と協調に向けた合意点の模索とか煙害対策の試行錯誤とかをもっとドラマチックに、描いて欲しかったです。一方、史料としてなら、当時の鉱山や周辺コミュニティが発展する様子とか、入四間を含めた周辺農村の様子とか、そういったものをもっと画に入れて欲しかったな、と。 それから、100年前の主人公が入四間村の中で標準語で話しているのも違和感を感じました。地元の名家の息子で旧制一高(現・東京大学教養学部)に受かるほどの人物ですから、会社との交渉では標準語を話していたとは思いますが、それでも周囲が茨城の言葉を話している環境で育った人が村内でも標準語、ということはなかったんじゃないかと。標準語を話すときの抑揚にも影響が出るはずです。日立が舞台の映画としては「桜並木の満開の下に」以来ですが、「桜並木」も日立市内の町工場の現場で標準語が使