映画「ある町の高い煙突」

日立鉱山大雄院製錬所(現 JX金属 日立事業所)の大煙突をテーマにした新田次郎の小説「ある町の高い煙突」を映画化した同名作品の先行公開を観に行ってきました。

製錬所から出る亜硫酸ガス公害による周辺地域の農作物への被害の防止に向けた鉱山会社と地元住民の取り組みを、地元住民の代表となった入四間村の庄屋の息子の目線で描いた作品でした、

Corporate Social Responsibility (CSR) とか Sustainable Development Goals (SDGs)といった言葉がビジネス用語として一般的になりつつありますが、それが100年前から行われていた事例として、煙突の上2/3が倒壊して短くなってしまった今でも町の誇りにしてよいエピソードではあると思います(大煙突で入四間の被害は緩和されたものの、その後も煙害は完全な解決には至らなかったようで、戦後まで対策が続けられたそうですが)。

日立市民の目線では、郷土の近代史上の一大出来事として非常に関心を持っていた話題だったので、こういう形で映画化されたことは大きな喜びですし、とても豪華な出演者陣もあって良い作品だったな、と感じています。

ただ、日立市民以外でも楽しめる娯楽作品としても、日立の郷土史を理解するための史料としても、期待したレベルには達していなかったことです。娯楽作品としてなら、山あいの美しい田園と山林がが煙害で破壊される様子をもっと陰惨に、地元民と会社側の対立と協調に向けた合意点の模索とか煙害対策の試行錯誤とかをもっとドラマチックに、描いて欲しかったです。一方、史料としてなら、当時の鉱山や周辺コミュニティが発展する様子とか、入四間を含めた周辺農村の様子とか、そういったものをもっと画に入れて欲しかったな、と。

それから、100年前の主人公が入四間村の中で標準語で話しているのも違和感を感じました。地元の名家の息子で旧制一高(現・東京大学教養学部)に受かるほどの人物ですから、会社との交渉では標準語を話していたとは思いますが、それでも周囲が茨城の言葉を話している環境で育った人が村内でも標準語、ということはなかったんじゃないかと。標準語を話すときの抑揚にも影響が出るはずです。日立が舞台の映画としては「桜並木の満開の下に」以来ですが、「桜並木」も日立市内の町工場の現場で標準語が使われていたのが違和感で、2作続けて違和感を感じることになりました。

この町が舞台の映画が今後制作されることがあるならば、ぜひ茨城の方言をもっと取り入れていただけるとありがたいな、と。

ネガティブなインプレッションは少なくありませんが、日立という土地に縁のある方にはご覧いただきたい作品ですし、そうでない方であってもCSRとかSDGsに関心がある方は、ご覧いただいて損はないと思います。

36年前に越してきたときには、町のあちこちから大煙突が見えました、文字通りのランドマークでした。その頃写真を撮っておけばよかったと後悔先に立たずです。

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