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The first month of second stage

6月末に定年退職してからもうすぐ1か月になります。 7月1日に翻訳業の開業届を出して、翻訳業者5社さんにエントリーして、採用1社、不採用3社、審査中1社という状況。トライアルを受けさせていただいて、いろいろと課題がわかりました。 人様が書いた文章には必ずと言って良いほど正確な解釈が難しい文章が潜んでますし、原文の意味がわかっても、それを的確に表現できる訳文がなかなか出てきません。言葉の引き出しが圧倒的に足りていないのです。文章を読んだり書いたり訳したり、といったことの絶対量を増やす必要があります。 あと、訳文が読者に伝わるようにするためには、言葉の前後関係を大きくひっくり返したり、場合によってはセンテンスを分けたりつないだり、原文とは似ても似つかない言葉に置き換えたり、といったことが必須なのですが、訳者がどこまで原文の構造を変えてよいのか、さじ加減がわかりません。ここは特に訓練が必要な部分だとわかりました。 また、多くの業者さんで必要とされているTRADOSも使い始めてみたものの、今一つ要領を得ていません。1社さんから翻訳者登録が許されてわかったのですが、翻訳の単価は原文に同じ文型、同じ用語が繰り返し出現すると下方修正されるようになっています。そういう繰り返しはTRADOSやを代表とする翻訳メモリーというソフトを用いて、以前訳した文型や用語を再利用するという前提で単価が設定されているのです。つまり翻訳メモリーが使いこなせないとそれだけ単位時間あたりの収入が減ることになります。ソフトの操作の大きな流れはメーカーのチュートリアルなどで把握できますが、細かい操作は使い込まないと覚えられません。 ということで、もっともっと訓練を積み重ねる必要があることがわかりました。 こちらに取って最も都合の良い方法は実際にお仕事をいただいてユーザーさんからのフィードバックをいただきながら、改善を積み重ねていくことだと思います。しかし、ユーザーさんは一定の期限までに一定の品質の訳文を必要として業者さんに翻訳を依頼している訳ですから、あれこれフィードバックしないと期待する訳文が出て来ないような業者さんには頼みたくありません。フリーランスにはOJTの機会はないのです。この点では、会社勤めのありがたさを今更感じています。 ということで、当座は業者さんのトライアルのエン

開業

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届け出提出と銀行の口座の整理だけで終わってしまいましたが、本日翻訳業の開業届を出しました。青色申告のメリットが出るほどに注文いただけるかどうかわかりませんが、青色申告の申請書も。 結局探すことを含めて仕事は何もできなかったのですが、記念すべき創業日ですので、創業理念的なものを書き残しておきます。心が汚れたら、見に来るようにします。 ミッション:言葉や文化のバリヤを越えるお手伝いを通じて、日本人が他の国の人たちとの貿易や交流を深めることに少しでも良いから貢献する。 メッセージの正確な伝達を最優先とする。 すべての関係者に愛を注ぐ。 より心に響く言葉を選べるよう研鑽を怠らない。 継続雇用中は会社業務と両立できないお仕事は引き受けない。 独善を慎み、謙虚であり続ける。いい加減な仕事はしない。 これを守り続けることができれば、お仕事はうまくいくと思います。ただ、言うは易し行うは難しです。繰り返し肝に銘したいと思います。

定年退職

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2019年6月30日付で36年間勤めてきた定年退職となります。 28日(金)が現役社員としての最後の就業日となりました。 職場でお花もらいました。もらえることが当たり前だとは思ってないので、とても嬉しいです。帰宅後にそのままツレに感謝の気持ちと一緒に渡したら、喜んでもらえました。 いやー、入社式のために東京からこの町に来た日のことがつい最近のことのように思い出されて、永遠に続くのかと思ってたサラリーマン生活の終点がこんなに早くに来るとは思いませんでした。でも、水曜日に受診した人間ドックで若い頃には正常だった数字が危なっかしくなっていたことを考えると、それだけの年月が経過した、という事実を突きつけられます。それでも受け止め切れませんが。 サラリーマン生活に一区切りついたということで、家族、同僚、先輩、後輩、その他お世話になった方々に感謝の気持ちを伝えねばならないところですが、亡くなった人や連絡が取れない人もいますので、直接伝える代わりに、ここに書き込むことにします。 「ありがとうございました」 と。 社会のインフラストラクチャーの構築・維持・運営、そして事業のグローバル化に貢献したいと思い当地の製造業に就職したのですが、振り返ってみると、学生の頃に思い描いた未来とはかなり違う形でこの日を迎えました。「〇〇は俺が作った」と胸を張れるような成果はなかったなー、と。この36年、もう少し頑張れば、入社時に思い描いた未来に近づけたのかな、とも思う一方で、あれ以上頑張るのは自分には無理だったな、とも思えて、くやしさと諦めみたいな後味の悪さを感じています。 でも、キャリアの前半では質はとにかくとして一つ一つを思い出そうとしても思い出せないほどたくさんのプロジェクトにかかわって、数えきれないほど多額のお金を動かしたこともありましたし、後半では自分が社内でトップクラスに居ると自負できる得意分野ができて、それを武器に社運を左右する大きなプロジェクトにわずかながらでも貢献できたという手応えと幸福感を得ることもできました。プロジェクトが途中で凍結になってしまったのが、何とも無念ですが。 会社の継続雇用制度で引き続き雇ってもらえることになったので、今後も入社時に思い描いた未来に少しでも近づけるよう、働いていきたいなと思います。ただ、会社から提示された新しい給

映画「ある町の高い煙突」

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日立鉱山大雄院製錬所(現 JX金属 日立事業所)の大煙突をテーマにした新田次郎の小説「ある町の高い煙突」を映画化した同名作品の先行公開を観に行ってきました。 製錬所から出る亜硫酸ガス公害による周辺地域の農作物への被害の防止に向けた鉱山会社と地元住民の取り組みを、地元住民の代表となった入四間村の庄屋の息子の目線で描いた作品でした、 Corporate Social Responsibility (CSR) とか Sustainable Development Goals (SDGs)といった言葉がビジネス用語として一般的になりつつありますが、それが100年前から行われていた事例として、煙突の上2/3が倒壊して短くなってしまった今でも町の誇りにしてよいエピソードではあると思います(大煙突で入四間の被害は緩和されたものの、その後も煙害は完全な解決には至らなかったようで、戦後まで対策が続けられたそうですが)。 日立市民の目線では、郷土の近代史上の一大出来事として非常に関心を持っていた話題だったので、こういう形で映画化されたことは大きな喜びですし、とても豪華な出演者陣もあって良い作品だったな、と感じています。 ただ、日立市民以外でも楽しめる娯楽作品としても、日立の郷土史を理解するための史料としても、期待したレベルには達していなかったことです。娯楽作品としてなら、山あいの美しい田園と山林がが煙害で破壊される様子をもっと陰惨に、地元民と会社側の対立と協調に向けた合意点の模索とか煙害対策の試行錯誤とかをもっとドラマチックに、描いて欲しかったです。一方、史料としてなら、当時の鉱山や周辺コミュニティが発展する様子とか、入四間を含めた周辺農村の様子とか、そういったものをもっと画に入れて欲しかったな、と。 それから、100年前の主人公が入四間村の中で標準語で話しているのも違和感を感じました。地元の名家の息子で旧制一高(現・東京大学教養学部)に受かるほどの人物ですから、会社との交渉では標準語を話していたとは思いますが、それでも周囲が茨城の言葉を話している環境で育った人が村内でも標準語、ということはなかったんじゃないかと。標準語を話すときの抑揚にも影響が出るはずです。日立が舞台の映画としては「桜並木の満開の下に」以来ですが、「桜並木」も日立市内の町工場の現場で標準語が使

cucina NORD IBARAKI クチーナ ノルド いばらき

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5月の日曜日に結婚30周年のお祝いとして日立市内のイタリアンレストラン「 クチーナ ノルド いばらき 」でランチしました。私たち夫婦+セガレ+ツレの両親と5人で。 多賀消防署+図書館からマルト諏訪店の方に抜ける道(「諏訪通り」というそうです)のセイブの向かい側にあります。ただ、道沿いではなく1軒山側に入ったところにあるので、お店ではなく道沿いに出ている看板が目印になります。 お店の周りの花がキレイです。お隣のガーデンデザイン工房のプロデュースでしょうか。 開店当初は土日の予約は取りにくいと聞いてたのですが、前日に気まぐれに予約したのにOKでした。クリスマスとか年末年始とか入学・卒業祝いのシーズンはとにかくとして、利用しやすくなったようです。 休日のランチは3,200円+税のコースのみですが、料理二皿はそれぞれ二種類から選択できるようになっていました。セガレがクルマを出してくれたので、スパークリングワインをいただきました。 最初に出てきたのは、アミューズで、春人参のエスプーマ。「砂糖を使わずに人参の甘味を引き出した」との説明で、少しハードルを上げてから頂戴しましたが、期待を上回る甘味でした。 前菜(antipasto)は「新玉ねぎのパンナコッタ+春のお豆とコンソメのジュレ」。パンナコッタというと普通スイーツを思い浮かべますが、玉ねぎ独特の尖った感じを残しつつ甘味もあっておいしかったです。 一皿目(primo piatto)はパスタとリゾットの二択。わたしは「久慈浜シラスとタコの辛いトマトソーススパゲッテーニ」をいただきました。「辛い」というストレートな表現どおり、なかなかのピリ辛感のあるトマトソースがおいしゅうございました。 二皿目(Secondo piatto)は肉と魚の二択。わたしは「常磐沖鮮魚と春キャベツのスープ仕立て」を選択。この日のお魚は真鯛でした。見た目淡白なイメージですが、少し強めの塩味を利かせて先入観の斜め上を行く濃厚な魚の味を強調。逆にスープは塩味控えめにしてキャベツのだしを味わってよ、という味付け。強弱両極端な塩の使い方が面白かったです。 デザート(dolce)は「イチゴのブディーノ ゴルゴンゾーラのアイスを添えて」。ブルーチーズ大好き

2019-04-17 台北旅行 6日目 帰路

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1日目 101・鼎泰豐・臨江街夜市  2日目(1) 象山 2日目(2) 永康街・中正紀念堂・松山文創園區 3日目(1) 龍山寺・ちょっとだけ西門町 3日目(2) 建國假日玉市花市・關渡宮・淡水・士林夜市 4日目(1) 九份 4日目(2) 金瓜石・水湳洞 5日目(1) 故宮博物院 5日目(2) 欣葉・雙城街・廸化街・サニーヒルズ・信義エリア 6日目 帰路  ←イマココ 出発前から楽しみにしていた台湾旅行も帰る日が来ちゃいました。あーあ。 4日目に外帶(Wàidài=テイクアウト)してホテルで食べた朝食がツレに高評価だったので、この旅最後の朝食は、麥軒早餐店(Mài xuān zǎocān diàn)まで食べに行きました。 前回は6時台でしたが、今回は8時台だったので、常時2~3人が外帶で並んでいるという繁忙期。入店当初はおばちゃんがワンオペで回してましたが、北京語が話せない変な日本人観光客が内用(Nèi yòng)で来店して回らなくなったためか、タブレットからSNSで応援を要請、おじさんと息子さんが駆け付けました。ただ、男子2名はおばちゃんほどは要領が良くなかったようでした。 小さなお店ですが、いろいろな道具が機能的に配置されてました。 土司(Tǔsī=トースト)。袋に入ってるとピンとが合いません。 定番の蛋餅(Dàn bǐng=卵のクレープ巻き)。これは間違いありませんね。ソースは色もお味もおたふくソースっぽいです。 義大利麵(Yìdà lì miàn)。こちらは旦那さんが調理してくれました。コンロがお店の外にあるのが面白いです。ボリュームたっぷりで朝からエネルギー全開で行きたい人向けです。ただ、麺がぷつぷつで見た目ほどは美味しくなかったです。でも、これ食べられて良かった。 無糖温豆漿(Wú táng wēn dòujiāng=人肌に温めた無糖豆乳)。朝から胃にやさしい。 何でも感でも卵を追加したので、165TWDもかかってしまいましたが、大満足です。 お腹いっぱいですが、ツレは「台北に居る間におまんじゅう食べたい」と包仔的店(Bāo zǐ de diàn)で、肉包(Ròu bāo) 25TWDをお買い上げ。一口だけいただ