人が作るものへの愛おしさ/この世に生きる幸福

金曜日の朝、通勤の車の中のことです。
矢野顕子のピアノ弾き語りを聴いていたら、ふと何気ない曲の背後に矢野顕子自身、作曲家、作詞家、ピアノ職人、調律師などなど、大勢の人がかかわっていることに気付きました。そういった人たちの人生に思いを馳せてみると、その曲がなんとも愛おしく感じられました。
少し渋滞気味の道に目をやれば、制限速度の丸い標識にさえ、デザイン、板金加工、塗装、施工など大勢の人が関わっている訳です。何の変哲もない速度標識に気持ちを込めて丁寧に仕事をした人、食べることだけを考えていい加減に仕事をした人、きっと色々な人が関わってきたはずで、彼らの一人一人に思いを馳せてみると、速度標識が愛すべき存在に感じることができました。

私の周囲には多数の人が作ったものが存在して、それらの一つ一つがその人たちの人生の一部を刻んで作られています。自分は一人ぼっちではなくて、大勢の人々の輪の中で生きています。その中には路地から私の車の前に割り込んできたり、右折車線のない場所で右折しようとして車の流れをせき止めたりするちょっと嫌な奴も居るのかもしれませんが、多くは自分達の人生を地道に生きてる普通の人たちだと思います。そう考えるだけで、何故かしら幸せな気持ちを感じることができました。

なんとも自己満足な話ですが、仕事や私生活のストレスに囲われてなかなか気付くことのできない小さな幸せを実感できる、ということだけで自分は幸福なのだと確信できます。そういうことがわかるのに50年近くかかってしまいましたが、わからないまま人生を終える人も大勢居るのでしょうから、私は相当ラッキーです。

こんなことを考えていると、「もしかして人生の最期が近付いているのかしら」とちょっと不安になったりもします。「生きているだけで幸せ」と感じている私は、もっともっとこの人生を生きたい。うん、頑張って生きていこう。

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