深澤真紀さんの「百恵」と「聖子」を読んで...

ちょっと堅めのニュースソースですが、日経ビジネス誌のWebサイト深澤真紀の平成女子図鑑【14】「百恵」と「聖子」-バブル世代に影響を与えた「時代と寝た女」と「すべてを手に入れる女」という記事を見つけました。

昨年暮れにPerfumeと出会って以来頭の中でアイドルブームが燃え上がっている私ですから、見逃すはずもありません。しっかり読ませていただきました。

ビジネス誌の連載ですからキャリヤと能力開発の観点で書かれてはいますが、アイドル論としても面白い記事でした。

日経系サイトの記事は無料ながら少々面倒なユーザー登録してないと読めない場合があるので、超要約しますと、山口百恵が引退後戻ってくることもない一方、松田聖子が現役を続けているのは何故か、という記事です。

また、ちょっと長くなりますが、その結論付近を引用します。

 女性は「自分がどう見られるか」「どう評価されるか」に夢中になりがちな生き物です。聖子は、自分がどんなに愛されても神格化されても「柳に風」に見えます。これはある意味で、すごいことです。

おそらく聖子は、ファンの中にいる「聖子」と自分は違うということが分かっているのだと思います。

 しょこたんの中にいる「聖子」も、その他たくさんのファンの中にいる「聖子」も自分とは別物。アイドルはそういうものだと分かっているのです。

 そして多分山口百恵は、ファンの中にいる「百恵」と自分をうまく切り離せなかった人です。だから引退するしかなかったし、復活もしなかった。

 今の働く女性にとって、聖子のような「引きはがす力」はとても大事だと思います。

 自分が持ついろいろな人格について、すべて責任を背負わなくてもいいということです。

 当たり前のように聞こえますが、でもいざ自分に当てはめてみると、自分の人格に責任を持たないというのはなかなか難しいことです。

 例えば「感じのいい人」と思われながら仕事をしていると、女性は「感じのいい自分」でいることに夢中になってしまうものです。しかし、そんなイメージに縛られていると長続きしません。

 松田聖子が長く芸能界で活躍し続けられているのは、人それぞれの心にいろいろな「聖子」という虚像があり、「虚像」でいることが自分の仕事だけれど、それに縛られる必要はないと分かっているからでしょう。

 一方で、そのファンからの称賛は栄養にすることができる。だからこそ長く「聖子」でいられたのです。


「自分が持ついろいろな人格について」という言葉で思い浮かんでしまうのが、あ~ちゃんです。

私には彼女がとても多面的な人格を持っているように見えます。それらに対する責任をすべて背負い込もうとすると、いくら意思が強い彼女でもモタないと思います。

古参のファンの皆さんや黒猫堂さんのように彼女のことを詳しくリサーチしている方は違う見方をされるかもしれませんが、私には今のあ~ちゃんにそのような兆候はなさそうに見えます。

西脇綾香さんには、仕事の場における「あ~ちゃん」としての人格に対する責任は、プライベートな場ではきっぱり忘れていただいて、長続きするアーチストであって欲しいと思います。

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今日のミュージックフェアにTommy February6+Tommy Heavenly6が出てました。別に彼女のファンではありませんが、34歳になってもなおなかなか素敵なアイドル的パフォーマンスを見せてくれる姿勢には敬服しました。14年後に34歳のPerfumeを見ることができたら、素晴らしいなと思います。

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