日立の産業の歴史を探訪する (2)

実際にこのハイキングに出てから5日が経ちました。
うっかり、日立市の重要な産業の一つであるセメントをスルーしていたことに気付きましたが、まずは記憶が消える前にそれなりに楽しかった思い出を残しておくことにしましょう。

今回はPerfumeネタゼロです。

高鈴山から北方向に向かい、御岩神社の方向に下ります。


トレールは分岐点までに比べると少し狭くなってますが、状態は悪くありませんでした。


木々が杉に変わって神社の屋根みたいなものが見えてきました。もう少しで麓の神社かな。


途中視界が開ける場所がありましたが、まだ麓まで距離はあるみたいです。先ほどの屋根は何かしら。


神社まで下りてきました。


この神社、御岩神社の本社ではなく賀び礼神社という神社だそうです。


ここから、暗い杉林の中を麓の御岩神社に下っていきます。結構キツい坂もあります。


途中トレールと沢が交錯する場所もあります。基本的に散歩の延長で歩き回ってるので、こういうシチュエーションはあまり好きではありません。


ほどなくさきほどよりも大きな神社が見えてきました。ほっとします。


御岩神社本社です。無事の下山に対する感謝と、家族そしてPerfumeの健康を祈るべく、参拝しました。


この地域の名所の一つ三本杉です。


境内には大日如来像があったり、門に仁王様の像があったり、なかなかに神仏混合の神社です。


この地域を入四間(いりしけん)と呼びます。谷あいにある集落なので以前はこの集落の入り口付近に谷が狭くなっている部分があったのかもしれません。

ここは、新田次郎の「ある町の高い煙突」という小説の舞台になった場所です。

山の反対側(東側)にある銅の鉱山の精錬所から出る亜硫酸ガスが海風に乗ってこの集落に入り込み人々の生活や農業に甚大な被害を与えました。集落の人々と鉱山会社との粘り強い交渉の結果、鉱山会社は高い煙突を築いて煙害を解消した。

というストーリーです。

この小説の中で、集落を代表して交渉の中心となった主人公は、度々この集落から鉱山会社のある山の反対側、時には精錬所さらに市街まで行き来しています。当時は車なんてなかったはずですから、徒歩だったんじゃないでしょうか。その足取りをたどってみたかったので、ここまで下りてきた訳です。

集落の東の端にスケート場の跡があります。


以前からここを車で通過する都度、ここがどういう場所か気になってましたが、覗き込んでも草ぼうぼうの敷地があるだけで、開いてる当時がどんな様子かを想像するすべがありません。


普段 車で通過するだけの県道を東に向かって歩いて行きます。


「とうふ工房 名水亭 なか里」という市の農林水産課の施設があります。いわゆる村興し的な施設だと思います。以前購入したことがありますが、値段と味のバランスは「男前豆腐」とか「波乗りジョニー」に比べて見劣りしたため二度と利用しなくなりました。ちょっとガッカリな豆腐屋です。


この近辺の水は美味しいとされているらしく、以前からいつも誰かしら道端に車を停めて水を汲んでいる人が居たのですが、この施設内の駐車場に水汲み場ができてからは、みんなここで水を汲んでます。20リットルくらい入るポリタンクを何個も持ってくるツワモノも居ます。
私もこの辺で空になったペットボトル2本に水を足しておきます。確かに美味しい水かもしれませんが、最近は日立市の水道も味が改善されていて、わざわざガソリン代使って汲みにくるほどの味ではないかなと思いました。それとも、私が味音痴なだけかな?

左側で水を汲んでるジャージのオヤジは、駐車場内に何人か居る歩行者を蹴散らすようにして水汲み場の隣に軽トラックを停めに入ってきた、とても嫌な奴です。このオヤジだけでなく、日立市・常陸太田市といった茨城県北部のドライバーのかなりの割合が歩行者を極めてぞんざいに扱う傾向にあります。田舎では免許年齢に達すると車以外の手段で移動することが極端に減るため、何ごとも車中心で考えることが背景にあると思います。でも、もう少し気を使って欲しいですね。

県道を更に東へ上っていくと、トンネルの入り口が見えてきます。トンネルを通った方が近道ですが、暗くてうるさくて空気も悪くてつまらないですし、「ある町の高い煙突」の主人公が行き来した道をたどることが目的なので、左側の旧道を上がっていきます。


旧道は自動車通行止めになっていて、歩行者は左脇の格子を抜けて進む形になります。この車中心の発想はどうにかならないんですかね。


さきほど左側に見えたトンネルは1989年に開通したもので、それまではこの旧道に短いけどとても狭いトンネルがありました。確かトンネルの中ですれ違いが困難なので入り口に信号があって、両方向は同時に通れないようになっていたと記憶してます。でも、そのトンネルは入り口が塞がれていて、そこへ至る10メートルくらいの区間は草ぼうぼうになってました。


旧トンネルの入り口の少し手前に峠を越えるハイキングコースがありましたので、そちらを登っていきます。


峠を越えて、少し下ったところにトンネルの反対側がありました。こちらはもっと草ぼうぼうで、トンネルの跡を見通すことさえできませんでした。


旧県道の跡を下っていきます。


途中神社を発見。ただ、裏口があるだけで、道沿いには表玄関のない不思議な神社です。


まだこちらが現役だった頃の県道の標識がありました。


右側に下りる階段があったので、そちらを下ります。


さきほどの新トンネルの反対側に出ました。県道の向こう側に次の目的地がみえます。


日鉱記念館の入り口です。「ある町の高い煙突」の鉱山会社のモデルになった新日鉱ホールディングス株式会社創業の地です。


いやぁ、5日経って記憶が薄れてきたのですが、ここまでだけでも結構歩きましたね。ブログに書き留めているだけで疲れてきました。

ということで...

つづく

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